私は今日も、見えない仮面をつけて生きている。
仮面の下にいる自分を、忘れないために。
最近、
Substackで文章を書いていると、
手が止まる瞬間があります。
今ここで文章を書いている自分は、
本当の自分なんだろうか。
普段の自分とは、
少し違う気がする。
かといって、
仕事をしているときの自分とも違う。
じゃあ、
今この文章を書いている
「この自分」は、一体誰なんだろう。
そんなことを考える時間が、
少しずつ増えてきました。
よく考えてみると、
私は一日の中で驚くほど何度も
「自分」を切り替えて生きています。
家族の前の自分。職場の自分。
SNSの自分。一人でいるときの自分。
そのたびに、 声のトーンも、
言葉の選び方も、
見せる表情も少しずつ変わっている。
でも、ほとんどの場合、
そのことに自分でも気づいていない。
気づかないまま、
その場に合う自分を選んでいる。
そんな自分にふと気づいたとき、
「仮面(ペルソナ)」という言葉が、
頭の中をちらつきました。
もしかすると、
現代人の生きづらさって、
こういうところから
生まれているのかもしれない。
なんとなく、
そんなことを考えるようになりました。
仮面(ペルソナ)とは
「仮面(ペルソナ)」という言葉、
聞いたことはありますか?
初めて聞く方もいると思うので、
少し補足させてください。
ペルソナとは、
人が社会の中でかぶっている
「仮面」のこと。
もともとは、
古代ギリシャの演劇で 使われていた言葉で、
役者が舞台でつけていた
仮面を指していたそうです。
どういうことかというと…
当時の劇場はとにかく広くて、
後ろの席からは役者の表情なんてまったく見えない。
だから大きな仮面をかぶって、
「この人は王様ですよ」
「この人は悪役ですよ」と、
観客にわかるようにしていたんです。
つまり仮面は、
「自分の役割を相手に伝えるための道具」
だったわけです。
そこから時代が進んで、
心理学者のユングという人が
この「ペルソナ」という言葉を
人間の心の仕組みに当てはめました。
ユングはこう言っています。
人は社会の中で生きるとき、
場面に合わせた
「仮面(ペルソナ)」をかぶっている。
と….。
たとえば、
上司の前では「真面目な部下」
友人の前では「気さくなやつ」
SNSでは
「ちょっと知的に見える自分」
それぞれの場面で、
無意識に仮面を取り替えている。
言われてみると、
これは必要なことだと思います。
仮面があるから、
社会の中でうまくやっていける。
相手に合わせて
自分を調整できるのは、
むしろ知恵でもある。
ユングの考え方を借りるなら、
仮面は社会の中で
生きるために必要なものでもあるんです。
でも、これって
ちょっと怖い話だなと思っています。
その仮面(ペルソナ)は外せるのか
『ペルソナ 脳に潜む闇』
(中野信子著・講談社現代新書)
という本を読む機会がありました。
脳科学者である中野さんが、
自身の半生と重ねながら、
先ほど説明した
仮面(ペルソナ)について
書いている本です。
どんな内容かというと、
「なぜ人は仮面をかぶるのか」
「その仮面は脳にどう影響するのか」 を、
科学の視点から掘り下げたもの。
(興味あればぜひ読んでみてください。)
その本を読んでいて、
ドキッとした部分がありました。
中野さんは、
人間の脳はそもそも 、
一貫しているほうが不自然だと書いています。
私たちは複数の側面を抱えていて、
それを場面ごとに使い分けている。
それは人間の「仕様」みたいなものだ、と。
つまり、
仮面をかぶること
自体は問題じゃない。
問題なのは、
仮面と素顔の境界線がわからなくなること。
「仕事の自分」を演じているうちに、
いつの間にかそれが 本当の自分だと思い込んでしまう。
「明るいキャラ」を期待され続けて、
疲れているのに笑うのをやめられなくなる。
「しっかり者」の 仮面が外せなくなって、
誰にも弱さを見せられなくなる。
仮面が顔に張りついて、剥がせなくなくなっていく。
そうなったとき、
人は苦しくなっていく。
どの自分が
本当の自分なのかわからない。
でも周りが
求めるから仮面を剥がせない。
そのズレに、
少しずつ自分自身が削られていって…
気づいたときには、
自分が何者なのかわからなくなる。
生きづらさの正体って、
案外こういうところにあるんじゃないかなと、
この本を読み終えてから
ずっと考えています。
私の3つの仮面(ペルソナ)
こんなことを書いている私自身も、
やっぱり仮面をかぶって生きています。
改めて数えてみると、
大きく3つありました。
1つ目は、素の自分。
基本的に私は、
かなりふわふわしています。
できればダラけたい。ふざけたい。
くだらないことで笑っていたい。
休日なんて、
気づいたらソファに沈んでいて、
スマホを触りながら、
特に意味のない動画を見て笑っている。
「今日、何してたん?」と聞かれても、
ちゃんと説明できるようなことは ほとんどしていない。
でも、そういう時間が、
一番自分に近い気もしています。
何かを成し遂げようとしている自分でもなく、
誰かにちゃんと
見られようとしている自分でもなく、
ただ、ぼーっとしている自分。
たぶんこれが、
仮面を外したときに出てくる
本来の自分に近いのかなと思っています。
2つ目は、仕事の自分。
私は出版社で働いているので、
仕事中はそれなりに “ちゃんとした人”になります。
丁寧に話す。論理的に考える。
失礼のないように振る舞う。
メールひとつ送るにしても、
この表現で失礼じゃないか。
この順番で伝わるか。
相手にどう受け取られるか。
そんなことを、
かなり細かく考えています。
会食の場ではなおさらです。
相手は目上の方だったり、
その分野で長く実績を
積まれてきた方だったりするので、
言葉遣いも、相づちも、
話すタイミングも気を遣う。
正直、緊張しすぎて、
飲んでいるワインが
赤だったのか白だったのか、
あとから思い出せないこともあります。
どこまで踏み込んでいいか、
どこから先は聞かないほうがいいか。
そんなことを考えながら、
その場に合う自分を演じている。
ただ、この仮面は
自分でもかなり意識的にかぶっています。
仕事のスイッチが
入る感覚があるし、
家に帰った瞬間に
ふっと力が抜ける感覚もある。
だから、
この仮面はわりとわかりやすい。
「あ、今は仕事の自分をやっているな」と、
自分でも気づける仮面です。
3つ目は、Substackの自分。
一番不思議なのが、
今こうして文章を書いている自分です。
素の自分ほど、
ふざけてはいない。
でも、仕事の自分ほど、
きっちりしているわけでもない。
ちゃんと考えているけど、
会社の人間として話しているわけではない。
読んでくれる人に届くように、
言葉を選んでいる。
でも同時に、
自分の中にある違和感や、
まだうまく説明できない感情も、
できるだけそのまま出そうとしている。
仕事では言わないようなことを、
ここでは書いている気がします。
かといって、
素の自分がそのまま出ているわけでもない。
少しだけ背筋を伸ばしている。
でも、固くなりすぎないようにもしている。
ふざけたい自分と、
ちゃんと考えたい自分と、
誰かに届く言葉にしたい自分。
その全部が混ざったところに、
Substackの自分がいる気がします。
だから最近、
ここで文章を書いていると、
少し不思議な感覚になるんです。
これは素の自分なのか。
仕事の自分なのか。
それとも、
文章を書くことで生まれた
もう一人の自分なのか。
たぶん、
そのどれでもあって、
そのどれでもない。
そんな曖昧な場所にいる自分が、
今この文章を書いています。
境界線が溶けてきた
そして最近、
ちょっと面白いことが起きています。
1つ目の「素の自分」と、
3つ目の「Substackの自分」の境界線が、 だんだん曖昧になってきたのです。
書いているうちに、つい素が出てしまう。
少しふざけたくなる。 思ったまま書きたくなる。
Substackという場所が
居心地がいいからこそ、
そうなるのかもしれません。
無理に取り繕わなくていい空気がある。
読んでくれる人との距離感がちょうどいい。
だから自然と、仮面が緩んでくる。
それ自体は、
悪いことじゃないと思っています。
でも、考えてしまうんです。
仮面を全部外したら、何が残るんだろう
もし仮面を全部外して、
思ったことだけ
そのまま書いたら、どうなるか。
きっと…
言いたいことを言って、
「おわり」になってしまう気がします。
本当にそう思っています。
「伝わるように言葉を選ぶ」
という工程がなくなると、
文章はただの独り言になる。
自分の中では完結しているけど、
誰かに届くものではなくなってしまう。
素の自分でいることと、
誰かに届く言葉を書くこと。
そのあいだには、
やっぱり少しだけ距離がある。
その距離を埋めてくれているのが、
「Substackの自分」という
仮面なんじゃないかなと思うんです。
仮面は、誰かとつながるためにある
こうやって考えていくうちに、
私なりの結論が見えてきました。
仮面(ペルソナ)って、
自分を偽るためだけのものじゃない。
誰かとつながるための道具
でもあるんじゃないか、と。
「Substackの自分」という仮面は、
「素の自分」が抱えている考えを、
誰かに届く形に変えてくれる存在。
それがなかったら、
読んでくれる人への
リスペクトを忘れてしまったり、
言いたいことばかりを
言ってしまうだけになる。
だから、
仮面は必要なんだと思いました。
ただし、
一つだけ大事なことがあって….。
「今、自分は仮面をかぶっているな」 と気づくこと。
人間は複数の顔を持っていて当たり前。
でも、かぶっている仮面を
「これが本当の自分だ」と思い込んだ瞬間、 仮面は外せなくなる。
かぶっていると自覚していれば、
いつでも外せる。
外せるとわかっていれば、
またかぶれる。
その行き来ができるかぎり、
仮面は自分を苦しめるものには
ならないはずです。
最後に 仮面を外したとしても…
家族の前の自分。職場の自分。
SNSの自分。一人でいるときの自分。
この記事を読んでくれていた方も、
きっといくつかの仮面があると思います。
どれが「本当の自分」かなんて、
正解はなくていい。
全部自分だし、全部ちょっとずつ違う。
それでいいと思います。
ただ、一つだけ。
その仮面を我慢せずに、
ちゃんと外すことができるのか。
もっと言えば、
外しても受け入れてくれる場所・人がいるのか。
もし最近、
少しだけ仮面を外しにくくなっているなら。
たまには、
「本当はどうしたいんだっけ」と、
自分に聞いてあげてもいいのかもしれません。
ちゃんとしていなくてもいい自分。
うまく見せなくてもいい自分。
誰かの期待に応えなくてもいい自分。
そういう自分を思い出す時間が、
きっと必要なんだと思います。
私にとってSubstackは、
少しずつそういう場所になってきています。
素の自分をそのまま出すわけではなくても、仕事の自分ほど、きっちり整えすぎない。
自分の中にある違和感や本音を、
少しだけ言葉にしてみる場所。
うまく見せるためではなく、
ちゃんと自分に戻るために書く場所。
この記事が、
読んでくれた誰かにとって、
自分の仮面に気づく小さなきっかけになれたら嬉しいです。
最後までご確認いただき、
ありがとうございました!
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素の自分とサブスタの自分、たしかに融合されていきますよね。
そして、ちょくちょく素の自分オンリーで発してしまうことがあります😅
伝わるように。とAIを一応通すリスペクトという名のペルソナは、大事だなぁーと改めて記事を読んで思いました。
ペルソナは、あって然るべきですね☺️✨✨
たけひささん
ノミネートおめでとうございます🎉
私は仮面つけすぎて面の皮厚くなってしまって…
たけひささん
もう、軍団員でいいですよね?
既成事実を作ってですね〜。
☺️