人は不完全だから、誰かに優しくなれる。
自分が不完全であるにもかかわらず、人に完全を求めてはいけない。
誠に申し訳ございません。
この言葉を、
私は何度も口にする回数が増えました。
仕事の立場上、
自分自身の責任だけではなく、
部下の誰かの責任も
一緒に背負って対応することが
多々あります。
じゃあその後に、
部下を呼び出して説教するのか。
基本的に、やりません。
Substackを見ていると、
部下を持っていらっしゃる方や
経営をされている方も多いので、
このやり方が正しいと
言い切れるかというと…
正直、間違っているのかもしれません。
もっと厳しくした方が、
本人のためになることもある。
責任の所在を、
はっきりさせるべき場面もあります。
もしかすると、
私のやり方は甘いのかもしれません。
それでも、
私がこうしているのには理由があります。
部下がミスをしたとき、
どうしても思い出してしまうのです。
何もできなかった頃の、
自分自身の姿を….。
今後、部下ができた時に….
私はもともと、
何か特別な才能や華やかな経歴があって、
この出版という世界に
入ったわけではありません。
むしろ何も知らずに飛び込んで、
かなり苦労した側です。
センスがあったわけでも、
才能があったわけでもありません。
順風満帆だったかと聞かれれば、
だいぶ苦労を重ねてきた方だと思います。
周りの人が
当たり前にできていることが、
自分にはできない。
そんな日々が続いていました。
その中で、
著者の方にもご迷惑を
おかけしてきました。
自分のミスで、
関わる人に負担をかけてしまったことが、
一度や二度ではありません。
で、そのたびに謝罪をするわけですが…
基本的に、当時の上司がすべてを
巻き取って謝罪をしてくれていました。
自分がやらかしたことなのに、
上司が頭を下げてくれる。
自分よりも仕事ができて、
自分よりも立場が上の人が、
私の隣で、何度も
「申し訳ございません」と言っている。
その光景を、何度も見てきました。
じゃあ謝罪が終わった後に
怒られるのかというと…
注意はされます。
でも、怒鳴られたり、
詰められたりすることはありませんでした。
そして大抵、
最後にこう言われるのです。
「ご飯でも行こうか」
連れて行かれたのは、
会社の近くにある居酒屋や、
何度も行ったことのある馴染みの店。
そこで
仕事論を説かれるわけでも、
もっとこうしろと
求められるわけでもありません。
最近観た映画の話。
休日に何をしていたか。
あの店がおいしかったとか、
次は何を食べに行こうとか。
本当に、
どうでもいいような話ばかりでした。
さっきまで、
私のミスで頭を下げていた人が、
何事もなかったかのように、
目の前で笑っている。
当時の私は、
その優しさに救われながらも、
ずっと申し訳ない
気持ちでいっぱいでした。
自分のせいで上司が頭を下げて、
そのうえ奢ってもらっている。
何度か、
「今日は自分が払います」と言いました。
「いいよ、別に。」
そう言って、
上司は伝票を持って立ち上がる。
そして決まって、
笑いながらこう言いました。
「今後、部下ができたとき、
私と同じことをしてあげて。」
その言葉の意味を、
当時の私は理解していなかったと思います。
ただ、
なぜか忘れることだけはありませんでした。
上司の景色が今自分に
あの頃と比べれば、
少しは仕事ができるようになりました。
自分の仕事だけでなく、
誰かの仕事を確認する立場にもなりました。
そして今、
私にも部下がいます。
そして…
部下がミスをして迷惑をかければ、
私が謝罪をします。
もちろん、
ミスが起きないように
管理も工夫もしています。
チェック体制を整えたり、
事前に確認をしたり、
できることはやっています。
それでも
ミスが発生するときはあります。
そんなとき、
謝罪を終えて会社へ戻る途中で、
ふと、昔の上司のことを思い出します。
あの人も、
こんな気持ちだったのだろうか。
本当は悔しかったのかもしれない。
腹が立っていた日も、
きっとあったと思います。
それでも、
私の前では怒鳴らなかった。
頭を下げたあと、
食事に連れて行ってくれた。
私は今になって、
ようやく少しだけ、
あの人が見ていた景色を
見られるようになった気がします。
不完全だから、完全を追い求める
あの頃の経験を振り返るたびに、
私はこう思うようになりました。
人は不完全だからこそ、完全を追い求める。
過去の自分を超えるために。
もっといいものを作るために。
もっと成長するために。
そうやって、
どんどん前に進んでいくこと。
その行為自体は、
とても良いことだと思います。
ただし…
自分が不完全なのに、
人に完全を求めてはいけない。
自分ができないことを、
なぜか人にはできて当然だと思ってしまう。
自分がミスをすることは許せるのに、
人のミスは許せなくなる。
不思議なことに、
立場が上がれば上がるほど、
この感覚は強くなっていく気がします。
経験が増え、
できることが増えるほど、
できなかった頃の自分を
忘れてしまうから….。
では、今の私は、
すべてを完璧にできているのか。
断言できます。できていません。
今でも判断を間違えます。
確認が足りないこともあります。
自分の言葉で、
誰かを傷つけてしまうこともあります。
別に私は、
きれいな人間でもありません。
人に誇れるほど、
立派なことができるわけでもありません。
私は今も、不完全な人間。
だからこそ、
不完全な私から、
完全を押し付けたくない。
そう思うようになったんです。
受け取ったものを、次の人へ
これが正解か
どうかはわかりません。
もっと厳しくした方が
いいのかもしれない。
もっと効率的な
やり方があるのかもしれない。
世の中には色んな考え方があります。
でも、
謝罪をして…
怒られなかったこと。
奢ってもらったこと。
他愛もない話をしたこと。
そして、
「同じことをしてあげて」と言われたこと。
あの言葉が、
ずっと残っています。
きっと、あの時の上司も、
自分が完全な人間だとは
思っていなかったのではないか。
だから、
不完全だった私に、
完全を押し付けなかった。
そのかわりに、たった一つだけ。
「今度、部下ができたとき。
私と同じことをしてあげて」
あれは、
受け取ったものを、
次の人に渡してほしい。
自分に返すのではなく、
まだ何もできずに苦しんでいる誰かに
渡してほしい。
そういう意味だったのかもしれません。
自分が不完全であることを、
受け入れられるように。
だからこそ、
人に完全を求めない。
完全を追いかけるのは、
自分自身に対してだけでいい。
誰かに完璧を要求するのではなく、
自分が昨日より少しでも
完全に近づけるよう努力する。
その姿を見て、
周りの誰かが何かを感じてくれたら、
それで十分なのだと思います。
そして….
たまにSubstackに
上げている食事の写真。
1人でいくときもあれば、
部下と一緒だったりするときもあります。
普通にいくこともあれば、
実は謝罪の後だったりなんて。
でも、写真の中では…
どれも同じように見えているはず。
謝罪のことも、仕事の失敗も、
その写真には写りません。
まぁ….どれでもいいですね。
写真には写らなくても、
そこに残っているものは、
きっとあると信じて。
最後までご確認いただき、
ありがとうございました!
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記事とは別の形で、
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もう少しお時間ください。
(ほんとコツコツ作っています)
(無料で公開します)



たけひささんの上司の方もきっと同じようにしてきてもらったんでしょうね✨そして、それを恩送りするたけひささんも、とても素敵です✨思いやりがめぐっていて、素敵だなぁと思いました☺️🫶
1022番、人の感情に寄り添った、想いのある記事を読ませていただきました。
甘い、甘くないの基準は僕もわからないけど、それでいいのだと思っています✨
コンプライアンスがどうとか、厳しくすると辞めるとか、そんなんじゃなくて...
そもそも、人は感情で動くって思っているので、1022番さんの対応は間違っちゃあいねぇ!!
と、看守は思っているのである👮‼️