ギブ&テイクから、ギブ&ギブの世界へ。
見返りを前提にした交換ではなく、自分の中から自然にあふれるものを、ただ渡していく。
正直に言うと、
私は「ギブ」という言葉が少し苦手でした。
言葉そのものが、
嫌いなわけではありません。
私が苦手意識を覚えているのは、
その言葉が
使われる“空気”のほうです。
「まず与えろ」
「見返りを求めるな」
「先にギブした人が勝つ」
SNSでも、ビジネス書でも、
こういった言葉をよく目にします。
たしかに、間違ってはいない。
でも、
「ギブしなさい」と言われた瞬間に、
なんというか….。
善意が義務に、
変わってしまうような感覚がありました。
見返りを求めるなって
言葉の後ろには、
「でも、少しくらいは…。」
なんて、
言葉がチラつくというか。
感謝されたい。
少しは気づいてほしい。
できれば、
ちゃんと返ってきてほしい。
でも、そう思った瞬間に、
これはギブだったの?
なんて思っています。
いい人でいなければいけない。
損得を考えてはいけない。
与えられる人間でなければいけない。
いつの間にか、
「ギブ」という言葉の周りには、
そんな圧力のようなものが、
漂っている気がしていました。
テクニックとしての「ギブ」に馴染めない
マーケティングの仕事をしていると、
「人を動かす」ための心理学やテクニックに
本当によく出会います。そして使います。
返報性の法則、希少性、社会的証明。
超有名書籍『影響力の武器』にも、
人の心を動かす原理がたくさん紹介されています。
知識としては面白いし、
実際にビジネスの現場では使われている。
でも正直に言うと、
私はあまり好きではありません。
人を無理やり動かすような
テクニックを使って
たとえ購入してもらったとしても、
そこに長期的な信頼は築けない。
本当に届けたいものがあるなら、
もっと別のやり方があるはずだと、
ずっと感じていました。
結局、
返報性の法則だって、
ちゃんと意味を理解して使わないと
小手先のテクニックと同じです。
見返りを求めないふりをしながら、
心のどこかで回収を待っているギブは、
本当にギブなのか…。
「こんなにやってあげたのに」
と感じた瞬間、
それはもう形を変えた
”テイク”なんじゃないか。
と心の中でそう、思っていました。
人間はそもそも与えるようにできている?
ずっと引っかかっていたんです。
人間って、
そもそも与えるように
できているんじゃないか。
「ギブしましょう」と
言われるずっと前から、
人は誰かのために動いてきたはず。
というのもその根幹には、
ある本のことがずっと残っていたんです。
リチャード・ドーキンスの
『利己的な遺伝子』
1976年にイギリスの
生物学者が書いた書籍です。
この本に出会ったのは、大学生の時。
お金がなくて
大学の図書館で借りたんですが、
辞書みたいに分厚い本で、
読み切るのにかなり苦労しました。
でも不思議と、
この本の内容はずっと
頭の片隅に残っています。
この本の詳細について話すと、
この世に生きるすべての生命体は、
自分の遺伝子を後世に残すために、
遺伝子そのものに操られて行動している。
だから私たちは人間は、
遺伝子の「乗り物」にすぎない。
行動も感情も好き嫌いも、
突き詰めれば遺伝子が
自分のコピーを残すための戦略である。
たとえば、
母親が命がけで子どもを守る愛。
この行動も遺伝子の視点から見れば、
自分のコピーを持つ個体を守っているだけ。
血のつながった家族の関係も、
人に対する感情も、
遺伝子に操られているにすぎない。
人間は、
自分の利益や幸福を最優先に考え、
自分本位に行動する
つまり人間は、
利己的な遺伝子によって操作されているだけ。
という内容の本です。
ちょっと冷たく聞こえますよね。
私も最初はそう感じました。
当時はまだ大学生で、
今よりもずっと解像度は低かった。
それでも、その話を聞いたときに、
なんとなく腑に落ちた感覚がありました。
見返りを期待してしまう自分も、
損したくないと感じる自分も、
生き物として見れば、
とても自然な反応なんじゃないか。
遺伝子のルールを、破る人たち
じゃあ人間は遺伝子に操作されて終わりか。
ということを言いたいわけではなく、
この本には続きがあります。
ドーキンスは、
大多数の法則とは違う特別な
個体についても書いていました。
それは….
人間の中には遺伝子が決めた、
利己的な繁殖のためのルールを破る存在がいる。
たとえば、
縁のない他者に関心や愛を持つこと。
血のつながりのない子どもを
引き取って育てること。
同性を愛すること。
先ほどの遺伝子の論理に従えば、
こうした行動は「意味がない」はず。
自分のコピーを残すことに貢献しない。
それでも、
その人類は利他の行為をする。
そんな遺伝子が決めた、
利己的な繁殖から逸脱した存在もいる。
ドーキンスは、
そんな余白も残していました。
ここを読んだとき、ハッとしました。
言われてみれば、
遠い国の災害のニュースを見て
「何かできないかな」と考えるとき、
別に見返りなんて求めていません。
電車で困っている人に
席を譲ったとして、
「だから他の人にも自分に譲って欲しい」
なんて思わない。
損得でも、遺伝子の戦略でもない。
ただ、
人が人に対して自然に
何かしてあげたいと思う行為。
こっちが、
人間の本質なんじゃないかなって
気付かされたんです。
ギブ&テイクから、ギブ&ギブへ
だから私は、
「ギブ&テイク」ではなく「ギブ&ギブ」
もうこれでいいんじゃないかなと、
思っています。
見返りを前提にした交換ではなく、
自分の中から自然にあふれるものを、ただ渡していく。
返ってこなくたって構わない。
だって最初から、
返してもらうために
渡したわけじゃないから。
Substackで言えば、
無理に気の利いた文章を考えて、
「この人よりも良いコメントを返そう」
とすることではありません。
誰かの記事を読んで、
本当に心が動いたときの、
感情をそのまま残してみたり。
「すごくよかったです」でもいい。
「この一文、刺さりました」でもいい。
うまく言葉にならない。
でも、
どうしても伝えたいと思ったときの、
その気持ちをありのまま伝える。
それだけで十分なんじゃないかなって。
リスタックも、コメントも、返信も、
本当は“評価されるための行動”ではなくて、
自分の中に溢れでた思いを、
誰かに少しだけ手渡す。
ただし、
自分を削るギブまではしなくていい。
心のキャパシティを超えて
差し出し続けると、
いつか、
「こんなにしてあげたのに」
という怒りに変わります。
善意から始まったものが、
怒りで終わってしまうのは、
とても悲しいことです。
本当のギブは、
自分を消すことではなく…
自分を大事にしたまま、
あふれた分だけ、他の人に渡す。
もちろん、テイクも
決して悪いことではないと思っています。
だって、
テイクの本来の意味は、
「受け取る」ことだから。
助けてもらうことは、
弱さではありません。
愛されることだって、
受け取りのひとつです。
誰かの言葉に救われることも、
差し伸べられた手に甘えることも、
本来は悪いことではないはずです。
問題は….
相手の善意を、
当然のものとして扱ってしまうこと。
そして、
その善意を利用して、
相手をすり減らしてしまうこと。
そこに、
テイクの危うさがあるのだと思います。
それでも、
ずっと与え続けられる人なんていないし、
ずっと受け取らずに生きられる人もいません。
同じ相手に返せなくてもいい。
もらった優しさを、
別の誰かに、違う形で渡していけばいい。
そうやって、誰かのギブが、
また別の誰かのギブになっていく。
「ギブ&テイク」ではなく「ギブ&ギブ」
私は、
この考え方のほうが、
ずっと人間らしい循環を
生み出せる気がしています。
最後に
このSubstackという場所も、
そういう「ギブ&ギブ」の空気が
流れる場所であってほしいなと思っています。
もちろん、
人間ですから、
欲が出ることもあります。
認められたい。
読まれたい、反応してほしい。
数値を増やしたい。
こうやって伝えている私自身も、
気づけばテイクに走ってしまうことが
あると思います。
でも、それはきっと、
恥ずかしいことではありません。
利己的な遺伝子からすれば、
生き延びるために必要な戦略。
何百万年もかけて、
私たちの中に刻まれてきた、
生き物としての
当たり前の反応かもしれません。
だから、
そんな自分を恥じなくていい。
でも、それでも。
ふとまだ、
顔も名前も知らない人の一行に、
なぜか胸が熱くなることがあるなら….。
別に、
心理学的なテクニックで
分析しなくてもいいし、
ロジカルに説明できる
理由を作らなくてもいい。
それでも、
「この人に何かを返したい」
と思ってしまう瞬間がある。
私は、そこに
人間のあたたかさがあると
思っています。
見返りを求めるためではなく、
いい人に見られるためでもなく、
ただ、目の前の誰かの存在を、
自分の心が無視できなかったから。
そんな自分から溢れ出たものを、
反応として渡す。
その渡したものが、
誰かの今日を少しだけ
軽くするかもしれない。
自分が渡したものは、
自分には返ってこないかもしれません。
でも、きっとどこかで、
別の誰かに渡っていく。
だから今日も、
うまく言葉にできなくても、
心が動いたら、
その分だけ誰かに渡していきたい。
あふれた分だけでいい。
無理をしなくていい。
そんなギブを届けたくて、
この記事を書いてみました。
私のギブが誰かに届きますように。
最後までご確認いただき、
ありがとうございました!
もし読んでみていいと思ったら、
ぜひコメント、リスタックを
していただけると嬉しいです。
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※購読者限定※
今後は、
Substackの記事だけでは
書ききれない。
非言語で受け継がれる、
マーケの思考・考え方をお届けします。
記事とは別の形で、
届けていくためにただいま準備中
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タケサックさん、これまたふらっと立ち寄るには素敵すぎる内容ですね☺️✨
色んな方がコメントされているように、私も同じく『恩送り』とか『ペイフォワード』を連想しました。
特に、サラリーマンを辞めてから、個人で動こうとなったときに、強く感じます。
色んな人に会って、話して、持ちつ持たれつで関係性を保っている事業主さんがとても多い。
『村』が育っているような感覚になります。
でも、そこには見返りなんてなくて、逆に、恩を受けた人が、能動的に『お返ししたい!』ってなってるんですよね。
多分、『お返ししなきゃ』ではないと思います。
それが、色んな人に伝染して恩を送り合っている村が出来上がっている気がしています。
...は💦こんならしくない、真面目なコメントはいけませんね🙌
つまるところ、こんな長文になってしまい、申し訳🍆。これが伝えたかったわけです。
たけひささん。
心が動いたら溢れた分だけでいい。
素敵です✨
少しずつ隣の人に渡していけば
いつかみーんな繋がってまわってまわって厚く深くなっていくんだろうな。
まずは自分から。